眠れる森
A Sleeping Forest



最終幕 ◆ 「聖夜の結婚式」


Reported By No.396 YOU-KA


「あの人だ・・・」
過去への時間旅行へ行った実那子はそうつぶやいた。

由理の死と啓太の自殺は俺に(俺達に)心の隠れ家の扉を開く事を決心させた。
俺は実那子を連れて親父の元を訪れていた。

親父の催眠療法により、彼女の意識だけが15年前のあの事件の夜へ返って行った。
そして、親父に問われるままに実那子は事件の夜の様子を答えた。
「国府さんが・・・・・あたしに近づいてきた。その手には包丁が。国府さんがあたしの方に・・・。」


  玄関のドアが激しく叩かれる。
  突然の訪問者に、驚く様子も見せず自分の靴を取りに玄関へと向かった国府。
  だがその視線は恐怖に慄きながらその場に立ち尽くす実那子の瞳を捕らえたままだった。
  再び戻ってくると、実那子の脇にあった鏡を叩き割り脅した。 
  「いいか。俺のことをしゃべったらオマエを殺しに来るぞ。忘れるな!
   絶対に忘れるな!しゃべってないかどうか、確かめにくるからな。」
  そう言いながら血の付いた包丁を実那子の手に握らせると、国府はその場を立ち去った。

  その時、鍵のかかっていた玄関ドアを打ち破ぶり、家の中へと飛び込んでくる男。

「ちょっと待って、玄関から入ってきたのは誰だった?」
親父が口を挟んだ。実那子の言葉にはまだ不鮮明な個所が幾つかあった。

「その人が警察に連絡したんだよねぇ。」
親父の問いにうなずきながら、彼女は少しづつ記憶の糸を手繰り寄せていった。


  扉の影から覗いた実那子が目にしたものは、血の海に横たわる両親の無残な姿と、
  瀕死の姉を抱きかかえ号泣する男の後ろ姿。
  そして雷鳴轟く中、血のついた包丁を握り締めたまま血だらけの服を着て立っている
  自分が割れた鏡の中にいた。
  駆けつけた警察官の向かい、叫ぶ男。
  「まだ息があります。早く紀美子をなんとかしてください!紀美子をなんとかしてください!」
  赤々と燃える暖炉の前で、泣きながらそう叫んだ男は国府だった。


「国府さんは犯人だったの?それとも家に駆けつけた人だったの?」
その質問に実那子はあきらかに困惑の様子を見せた。
彼女の記憶の糸が何処かで絡み合ってしまっているのだろう。

「時間が混乱している」そんな彼女の様子を親父は俺に説明した。
確かに本当の実那子の記憶は、何処かまだ森の奥深くに眠ったままなのかもしれない。

「それなあに?」
突然、実那子の記憶のひとつが目覚めた。

「それ、土の中に埋めるの?」
そこには12歳の実那子がいた。
(誰かと話しをしているようだ。まさか・・・)

「誰と話しているの?」親父が尋ねた。
「将人君。」少しはにかんだような笑みを浮かべながら実那子は答えた。
(あっ・・・やばい。)
「埋めるんだって。それぞれが大切にしている物をタイムカプセルに。」
「ダメだって!」
タイムカプセル・・・その言葉に俺は思わず立ち上がった。
実那子の記憶の覚醒がそれ以上に及ぶことを俺は恐れている。
実那子の言葉を止めようとする俺を親父は制止した。

「将人君は何を埋めたの?」
「運動会の時の1等賞のメダル。」
「君は?」
「あたしは・・・ロケットのペンダント。本当のお父さんの写真が入っているの。」
そう言いながら実那子はまるでペンダントを包み込むかのように自分の胸の前で手を重ねた。
「でもあたし、この写真のことは胸にしまっておかなきゃ。
 だからタイムカプセルに埋めるの。でも、埋める前にもう一度見ておきたいなぁ。」

そこにありもしないペンダントを実那子はそっと手を開きながら愛しそうに眺めている。
(ついにその時が来たのか?彼女があの真実を知る時が来たというのか?)

親父はそんな俺の気持ちを見透かしていた。
「直季、もういいな?」
黙って振りかえった親父の目は俺にそう尋ねていた。
俺も親父ももうそれが止められない事だと解っていた。
「じゃあ、こうしよう。そのロケットを開けた時、君の時間旅行は終わる。」
(・・・実那子が俺との関係を知ってしまう・・・あぁ・・・。)
「1983年から現在に戻って来る。いいね?!」
「はい。」

12歳の実那子の手によってロケットは開かれ、実那子は戻ってきた。
記憶の奥の本当の父親を実那子は知った。
しばらくの間、彼女から声を奪うには十分過ぎるほどの事実がそこにあった。
俺は実那子の顔を見ることが辛かった。
実那子に当てるられていたライトのスイッチを切る。
ゆっくりと振りかえった実那子は親父と俺にどこか救いを求めるような目を向けたが、俺はその瞳から目を反らした。
薄暗い診療室の中でも隠されることなく、実那子のとまどいの色がはっきりと映っていた。

「もう一度、君の手で埋めるんだ。」
親父はベストのポケットから俺が見つけたあのロケットを取り出すと実那子へと手渡した。
親父によって開かれたカーテン、その窓から差し込む光の中で実那子は現実のロケットを開いた。
その中の若い頃の親父の笑顔を目にし、実那子がやっと口を開いた。
「本当のことなの?」
「俺も最近知った。」
俺の返事はどこか言い訳のようだった。
親父が実那子へと答え始めた。
その言葉のひとつひとつに親父の実那子への想いは込められていた。
「君の不幸は全てわたしの責任だ。殺人事件を目撃して記憶障害に陥った君を
 なんとか助けてあげたかった。殺人事件の記憶だけじゃなく、父親に虐待されていた記憶も、
 誰が本当の父親だという記憶も、全て消してやりたかった。
 結局は君を苦しめるだけになったが・・・。」

実那子にもその想いは伝わったであろう。そして静かに俺を見上げた眼差しが問う。
「わたしたち・・・」
(ああ。俺は実那子の弟だ。俺達はこの事実をそのまま受け止めるしかないんだ。)
俺は実那子に背を向けると、もうひとつの窓のカーテンを開いた。
「俺、実那子と一緒にいるとなんかすごく懐かしかった。こんな風に・・・つながっていたから。」
それは実那子への言葉だけではなく、俺自身にそう言い聞かせていた。
俺の実那子に対する想いがいかなるものであったとしても、この事実は変えられない。
胸の奥から込上げる想いが、俺の背中を押した。
実那子の手の中にあったペンダントを手に取ると俺はロケットの蓋を閉じ、それを実那子の手の中へと戻すと、しっかりと握らせた。
(これは俺達の心の中に・・・埋められる過去としてしまっておこうな。)
俺は彼女の手を包み込むと、想いを込めて握りしめた。
「幸せになれよ。」
その言葉が全てだった。これが俺が実那子に贈れる想いの全てだった。
実那子は涙を流しながら、大きくうなずいた。
俺もそれ以上は言葉にはならなかった。
実那子の手を握りしめながらその温もりにすがるように、俺は泣きつづけた。

 

A Sleeping Forest 〜眠れる森〜 最終幕:聖夜の結婚式

 

街はイルミネーションやディスプレイで華やいでいた。
12月24日_クリスマス・イブ。
そう今夜は実那子の結婚式。実那子の新しい未来がここから始まる。
そして、それは15年前の事件の時効を成立させる夜でもあった。
夜の闇がベールを降ろすのを待って、船は出航した。

「おめでとう。」
小さな花束を携えてやってきた親父は、岸壁へと花束を置くと俺達の乗った船を見送りながら、つぶやいた。足元へと置かれた花束はまるで死者への手向けの花のようにも思えた。
親父は生まれ変わる実那子の過去へとその花束を手向けたのだろうか?
「・・・おめでとう。」
多くの光に包まれた船が、夜の海へと旅立つ姿を親父は見つめていた。

 

船内のホールの扉が開かれ、白い蘭のブーケを手にした実那子が輝一郎と共に現われた。
多くの招待客に混ざり、俺も結婚式に出席していた。勿論、友人としてである
。俺の目の前を、幸福そうに微笑む実那子が進んでゆく。
(綺麗だよ、おめでとう!)
俺の送った合図に、口元を緩ますだけの微笑みと瞬きを1つ返した。
(実那子・・・本当に幸せになってくれ・・・)
その美しさに俺は心から実那子を祝福し、いつしか拍手を送っていた。

ウェディングパーティーは華やかな装いを呈していた。
輝一郎の父、世界的な商業画伯である濱崎正輝が描いた実那子の肖像画が二人の結婚祝いとして贈られた。幸福そうな実那子の笑顔にほっとした安堵と共に、やはり少し寂しさを感じてしまう俺。

賑やかなパーティー会場を離れ、俺は誰もいない真っ暗なキャビンの一室に腰を下ろすとたばこに火をつけた。カウンターのあるバーだ。
ホールから聞こえてきた司会者の声がクリスマスの鐘までの残り時間を1時間だと知らせ、招待客をデッキへと導いた。
(あと1時間かぁ。少し疲れた・・・)俺はため息と共に煙を吐き出した。

トゥルルル・・・
携帯電話が鳴った。受話器の向こうの人物は警視庁の恩田と名乗った。
(あぁ、由理や啓太の件を担当している・・・)

「あっ、どうも。」
「そっちは何か変わったことないか?」
「いいえ、別に。」
「そうか。いや、実は中島啓太の通話記録を調べていたら面白いことが解った。」
「えっ?何ですか?」
刑事の話では、啓太が最後に掛けた携帯電話の番号が解ったという。
しかしまともなルートで売れている物ではないのだろう、相手の名前は解らなかった。
しかし相手の居た場所だけは判明した。
「えっ?東京湾?」
「今君がいる船の上だ」
(えっ?まさか・・・この会場の中に・・・。)
啓太が最後に連絡を取った相手?俺を襲ったサンタクロースの正体?それとも15年前の真犯人?
(いったい誰だ。)

船内に啓太の名を使って呼び出しのアナウンスを流した。
この呼び出しに反応を示す奴がこの中にいるはずだ。
船の左舷デッキから携帯電話を海へと投げ捨てる一人の男の影を発見した。
「連絡取れました?」
立ち去ろうとする男に声を掛け、その足を止める。

「あぁ、証拠隠滅ですか。連絡取る時はコレを使えって啓太に渡されたんでしょう。」
俺の声に振り帰った男は以外にも初老の紳士。濱崎正輝だった。
俺は人気のない先程のキャビンへ正輝を連れて行き男と向き合っった。
正輝はまだ啓太が自殺をした事を知らなかった。

そして正輝の口から、啓太だけではなく、由理までもが15年前の事件の真犯人を追って、この男と接触を図ったことを知らされた。

やはり由理はあのサンタクロースの為に殺されたのだ。
青白い炎のような怒りを押さえながら、俺は尋ねた。
「じゃあ、あんたが由理を殺すように頼んだんですか?」
頼んだのは殺しではなく、写真を取り戻す事だったと正輝は答えた。
その淡々とした口ぶりに俺の怒りは一気に赤い炎へと変わった。
正輝の胸倉をつかんでは、声を荒げて問い詰めた。
「じゃあ、あのサンタクロース誰なんだよ!あん?あんた誰かばってんだよ!」

キャビンのドアが開いた。振り返ると、その人影はゆっくりと俺達に向かって歩いてくる。
ホールから漏れる光に照らされて、現わした姿は濱崎輝一郎だった。
「俺だよ。」
(どういうことだ・・・この輝一郎がサンタクロース・・・)

輝一郎は啓太との取引や啓太が俺を裏切っていた事を俺に告げた。
そして平然と自分がサンタクロースの正体である事を明かしたのだった。
「あの日は国府を刑務所へ送り返す最後のチャンスだった。」


  誘い込まれた廃工場でのサンタクロースとの格闘。
  振り降ろされる鉄パイプを何度も体に受けながら、俺は必死に応戦していた。
  蹴り飛ばされた拍子に俺はコンクリートの柱に思いきり頭を打ち付け、その場に倒れ込んだ。
  血を流し頭を抱え込んでその痛みにのた打ち回る俺の姿を見たサンタクロースは
  俺がこれ以上の抵抗を出来ないと判断し、俺に背を向け歩き出し、
  鉄パイプを投げ捨て、つけ髭を外した。
  しかし激痛の中で、俺は必死にカメラのシャッターを押し続けた。
  背後で光るカメラのフラッシュに気付いたサンタクロースが振返った。
  その瞬間、シャッターは押され一瞬のフラッシュが輝一郎の顔をカメラへと焼き付けた。
  足元に投げ捨てた鉄パイプを再度握り締めたサンタクロースから俺を救ってくれたのは、
  近所の子供達の無邪気な歓声だった。


「君を殺すつもりはなかったんだ。
 国府の仕業に見せかけて、あいつが指名手配になればそれでよかったんだ。」

(こいつ、何言ってんだよ。その為に由理や啓太が死んでんだぞ。)
輝一郎の態度に俺は煮えくりかえるほどの思いで奴を睨みつけた。

「あっ、親父。こんな所で何してるんだよぉ。夫婦の誓いの儀式はもう直だよ。
 側に居てくれなきゃ、駄目じゃないかぁ。」
俺のそんな視線など奴には何も感じないのか、俺の隣に座っていた父親の存在に、今気付いたような素振りで父親の退室を促した。

「輝一郎、自首してくれ!」
そんな息子の態度に罪の意識を感じたのは父親のほうだった。
「何言ってるんだよぉ。時効成立まで、あと30分ないんだよ。」
(はっ、なにぃ?・・・時効成立って・・・この野郎・・・)
「行こうよぉ。母さんもきっと来てるよ。」
あくまでも平然と、それが当然のようにキャビンを出て行こうとする輝一郎に、俺はもう我慢がならなかった。

(ざけんなよ!)
「ちょっと待てよ!!」
このまま、この男が実那子の元へ戻って行く事を俺は許さない。
俺を襲ったサンタクロースも、15年前の事件の真犯人も、この輝一郎だって事は解った。
しかし俺にはまだ事件の真相が見えて来ない。
(このままじゃ納得いかねぇんだよ!)
「いったい何があったんだよ、15年前。」
「はぁーっ。好きになっただけだよ、森田紀美子を。」
俺の問いに奴は面倒臭そうにため息をつくと、当たり前の事のようにそう答えた。

輝一郎は俺達に向かって、15年前の真相をゆっくりと語りだした。


  「国府、またデートか?門限破ると寮長にしかられるぞ。」
  「アリバイ、頼む!」
  「しょうがない奴だなぁ。」
  学生寮の2階の部屋の窓から、紀美子とのデートへ向かう国府の後ろ姿にそう呟く輝一郎。
  紀美子が乗ってきた自転車を押す国府の腕に、腕を通して微笑む紀美子。
  仲良く出かけて行く二人の後姿を見つめる輝一郎。


「国府は紀美子の父親に交際を反対されているって、よくこぼしてた。
 俺は親身になって相談にのってやったよ。
 だけど、俺はどうやったって国府には敵わなかった。で、思いついたんだ・・・
 国府にお似合いの地獄ってやつをね。」

輝一郎は壁際の椅子に腰をおろすと、過去の記憶を甦えらせた。

「紀美子の体に刃物がスーッて入っていった。それが心臓に突き当たる感触。
 目の前の女が自分のものになったっていう実感だったよ。」

15年前のあのクリスマス・イブの夜の事が、今奴の脳裏にはくっきりと浮かんでいるのであろう。
そればかりか感触すら甦っている様子だ。


  赤々と燃える暖炉の前で紀美子の胸に刺した包丁を抜き床に置く。
  血で汚れた黒い皮手袋を外し、紀美子の唇にそっと触れる輝一郎。
  すでに意識の失いぐったりとした紀美子の体をゆっくりとその腕に抱え、頬を寄せて呟く。
  「愛しているよ。愛しているよ、紀美子。もう僕だけのものだ。誰にも渡さない。」
  外は雷が鳴り響く嵐だった。

  ふと、人の気配に気付き振り向いた輝一郎。
  そこには目の前で広がる惨劇に言葉を失い、大きく目を見開いたまま
  身動きすら出来なくなっている幼い実那子の姿があった。

  「ちょっと待っててね。すぐ終わるから。」
  紀美子を静かに床に寝かすと、黒い皮手袋をはめ、床に置かれた包丁を握り締めた。

  「あー、何見てんだよぉ。」
  その場に立ち尽す実那子に対して輝一郎を腹を立て殺意を抱いた。
  しかしその殺意は、殺人の犯人として目撃されたことではなく、
  紀美子との二人だけの語らいを邪魔された事に対する怒りだった。
  実那子を睨みつけたまま、ゆっくりと近づいて行く輝一郎。

  玄関のドアをノックする音。そこに森田家を訪ねた訪問者があった。
  「森田さん。森田さん。国府です。」
  呼びかけとノックが交互に繰り返される。
  「紀美子。紀美子。紀美子」
  だんだんと激しく叩かれるノック。呼びかけの名前も叫びへと変わる。

  その声に、立ち去るタイミングを感じた輝一郎は血に染まった包丁を手に実那子を脅す。
  実那子の脇の鏡を叩き割る輝一郎。
  「いいか、俺のことをしゃべったらオマエを殺しに来るぞ。忘れるな。
   絶対に忘れるな。しゃべってないかどうか確かめにくるからな。」
  返り血を浴びた輝一郎の顔が実那子の記憶の奥深くへと埋没された。

  玄関のドアを打ち破り、国府が飛び込んで来ると、同時に裏口から飛び出て行く輝一郎。

  居間の入口に呆然と立ち尽す実那子に向かい国府が声を掛ける。
  「実那子ちゃん、どうした?」
  只ならぬ様子を感じ、居間の中を覗いた国府は息を呑んだ。


「駆け落ちする為に国府が紀美子を迎えに来るのは知っていたからね。」
「じゃあ何でその時、国府を殺さなかった。」
俺が抱いた素朴な疑問に、奴は呆れてため息をつくと、イラつきながらテーブルを叩き、俺に向かって興奮気味に計画の意図を説く。
「それじゃあ、意味がないんだよ!あいつには恋人の家族を逆恨みして、
 恋人と無理心中しようとしたのに、自分一人だけ惨めに生き残ってしまったっていう、
 そういう卑劣で情けない男として刑務所に入って欲しかったんだ、俺は。」

俺の目の前で、友人を陥れる為の計画殺人を平気で解く輝一郎の姿に、俺は言葉も出なかった。

息子の犯した事件の真相とその狂気を始めて知った父親はその罪の重さに嘆き悲しんだ。

「だけど難しかったよ。完全犯罪にするのは。」
「ああ。あんたの犯罪、全部見られてたからな。」


  嵐の中、靴を手に持ったまま裏口から飛び出てきた輝一郎は裏庭を走り抜けると、
  木戸を押し開き、表に出た所で慌てて靴を履く。
  靴に両足が収まった安心から、ふと見上げた視線の先には、
  森田家の隣にある教会の入り口に佇む純白のマリア像。
  輝一郎を見下ろしながら暴雨に打たれたマリア像の瞳からは、
  まるで我が子の罪を悔いて流した涙のように雨が滴っていた。


「後でつい寄付なんかしちゃったよ。良く似てたんだよ。子供の頃に描かされたマリア像にさ。
 憶えてるだろ?母さんがまだ・・・。」

(何だこいつ、やけに母親に対して・・・)
俺は少し冷ややかな目でそんな輝一郎を眺めていた。
父親が母親の思い出話しにのって来ないと気付いた輝一郎はまた事件の後に取った自分の行動を語りだした。

「忙しい一日だったなぁ。」


  降り続く雨。瀕死の紀美子を乗せた救急車が森田家をあとにする。
  青いビニールシートに包まって警官に運び出される両親の遺体。
  タンカで運ばれる実那子の傍らには傘をさし出しながら寄りそうひとりの刑事。
  警察車両の中には第一発見者となった国府の姿。
  森田家の周りに集まってきた野次馬達の色とりどりの傘の花が降りしきる雨の中で揺れる。
  少し離れた場所の木の下にもポツリと咲く白い傘がひとつ。
  激しい雨に打たれながら、集まる人垣の先にある森田家の様子を眺める白い傘の下には、
  輝一郎の姿が。
  怪しげな笑みを浮かべ、闇の中へと消えて行く輝一郎。


「福島から急いで横浜へ駆けつけたら、親父まだ帰ってなかったよね。
 25日の午前0時、母さんの失踪宣告成立の瞬間を二人で一緒に迎えようって約束してたのに!
 でも時間に遅れてくれて、俺には好都合だった。
 親父にも、運転手にも、俺が随分と前から帰宅してたって思わせる事が出来たから。」


  父親の帰宅が遅れている事を利用し、急いで準備を進める輝一郎。
  母親の肖像画を部屋中に並べ、シャンパンを冷やし、前もって用意された料理を
  テーブルへと並べる。キャンドルも燃焼時間を考えてちゃんと折って短くしてから火を点けた。


(警察に証言したアリバイがこんなチープなトリックだったとはな。)
「あんた実那子、どうするつもりだったんだよ。」
「確かめに行ったよ。あの娘が本当に俺との約束を守るかどうか。」


  病院の庭を看護婦に押され散歩する車椅子の実那子。
  その様子を木陰から見つめる輝一郎。


「でも一目見て判ったよ。実那子はとても裁判で証言できるような状態じゃあなかった。
 よくキャッチ・ボールをしてくれた優しいお兄さんが一家皆殺しの犯人だったて事が、
 よっぽどショックだったんだなぁ。」
「でもあんたはその後も実那子をずっと見つめ続けた。」

輝一郎は俺が寄りかかっていたカウンターの上にあったウィスキーをグラスに注ぎ、一口のどを潤すと話を続けた。
「いつか思い出すんじゃないかって、やっぱり俺不安だったからさぁ。」


  静かな森の木立を抜けると一軒のコテージが見える。
  近づこうと足を踏み入れた輝一郎は、そのコテージの窓をじっと心配そうに見つめる
  ひとりの少年の姿を発見する。 少年は中の様子を伺ってことに夢中で、輝一郎の存在など
  まったく気付いていなかった。
  少年が見つめている窓に目をやると、12歳の少女の実那子が目を閉じ座っている。
  閉じられた瞳に手をかざし実那子に何かを語りかけている様子の男。
  催眠療法かなにかの治療であることは輝一郎にも推測できた。


「群馬から東京に引っ越してきた実那子は中学、高校、短大、何もかも忘れたように
 平凡な学生生活を送ってた。実那子と顔を合わせる事になったのは、
 まぁ言ってみれば不測の事態ってやつでさ。」


  コンサート・ホールの異臭事件。
  その現場は被害にあった客達とそれを救助に来た救急隊員や警察官、医師や看護婦などで
  騒然としていた。多くの被害者がホールの外の階段に腰を下ろし、救助の応対を待っていた。
  その中のひとりに実那子の姿があった。
  実那子を見つけた輝一郎は、異臭の影響で咳をし苦しむ実那子へとハンカチを差した出した。
  その後の後遺症で通院していた病院でも実那子の姿を見つけると
  あたかも偶然である事を装い、輝一郎は実那子に近づいていった。


「安心したよ。PTSDにかかっている実那子は俺の顔を見ても、一家皆殺しの真犯人だと
 思い出しはしなかった。森のコテージで受けていた治療がどんなものだったのか想像がついたよ。
 君のお父さんにお礼を言いたい気分だった。」
そう言いながら奴はせせら笑った。
(何がおかしい。そのことで実那子はどんなに苦しんだか・・・)

「俺は実那子を愛し始めた。紀美子に似てたからじゃないんだ。
 実那子は心の奥に闇を抱えてる。そう思うと、俺どうしようもなく実那子を抱きしめたくなるんだ。
 解るか?どうしてか解るか?実那子の心の闇は俺の手によって与えられたものだからだよ。」
(勝手なことぬかすなよ・・・)
「実那子を愛せば、家族全員殺した罪が償えるとでも思ったのかよ?」
「俺達の結婚式はあの夜から15年後のクリスマス・イブ。
 新しい人生が始まる時効成立のイブじゃなきゃダメだったんだ。」
(ったく、この男の精神回路はどうなってんだ・・・普通じゃねぇな。)
「異常だよ、あんた。」
「異常?異常なのは俺だけかぁ?心の隠れ家にいつまでも記憶を隠し続ける実那子も異常だ!
 その実那子との再会を15年間も待ち続けたおまえだって異常者だ!」

輝一郎は俺が奴に向かって言った異常という言葉に反応を示すと興奮し俺や実那子までをも罵った。

「全てを思い出した実那子が許すと思ってんのかよ?!」
俺の口調にも強さが増した。
しかし今度は反対に、輝一郎は諦めにも似たため息をつきながら、打って変わった弱気な表情を見せ呟いた。
「許してはくれないだろうなぁ。でもそれこそが時効が成立した後も俺が受けなきゃいけない
 罪の罰なんだよ。」
(そうさ、おまえはその罪を償わなきゃいけないんだよ。)

俺はコートのポケットから携帯電話を取り出した。
「もし、もし、恩田さん。聞こえました?」
その電話の回線は警視庁の恩田刑事の元へとつながったままだった。

「遅いよ。今から逮捕状を取っても起訴に持ち込むのは無理だ。」
自分が今にも逮捕されようとしているのに、輝一郎は平然としていた。
時効成立までの残り時間がもうほとんどない事で、奴は自分は逮捕されないと高をくくっているのだろう。
しかし「今からヘリを向かわせる。」と言った恩田刑事の言葉と共に、俺には勝算があった。
「あんた以前に海外勤務になってるでしょ?
部長の娘さんがたしかマレーシアまで追っかけて来たんでしょ?」
「良く調べてあるなぁ。」
「だって、それで本社に戻れたんでしょ?」
「それがどうかしたのか?!」
「知らなかった?日本を離れてる間時効ってね、止まるんだよ。」
俺のその言葉に奴の表情が一瞬変わった。(チェック・メイト!)
「まだ十分間に合うでしょう?」
俺に対して常に優位な態度を示して来た輝一郎が、自らの掘った墓穴へと陥る様を俺は期待していた。

が、しかし・・・。
「確かに彼女は俺の直ぐ後の便でマレーシアへと追いかけて来た。一緒に帰ってくれって、
 空港で泣かれて参ったよ。仕方なくその日のうちに帰国したら・・・
 部長は転勤を取り消してくれたよ。」(?!)
「海外での滞在が一日に満たない場合、時効に向かって時を刻む時計の針は止まらないんだ。
 知らなかったのかあぁ。」
(ハッ・・・なんてことだ・・・そうだったのか・・・)
「俺の時効は間違いなく、あと5分20秒後に成立だ。」
自分の腕時計で時間を確認すると、輝一郎は勝ち誇った。
俺はまたもや奴に打ちのめされた。敗北感と虚脱感が俺を襲った。

司会のアナウンスが、外のデッキで行われるクリスマスのカウントダウンと実那子と輝一郎の夫婦誓いの儀式が始まる事を告げた。

輝一郎はグラスに残っていたウィスキーを一気に飲み干すと、キャビンを出て行く。
「もうこれ以上、ジャマしないでくれ。俺が裁かれるなら、実那子に裁かれたい。
いつかそうゆう時が来るって、そう思っているよ。」
入り口のドアの前で振返った輝一郎は、俺に向かってそう言い放つと実那子の元へと戻って行った。

 

薄暗いキャビンには俺と喜一郎の父親の正輝がとり残された。

「私のせいだ・・・私が、あんな怪物に育ててしまった・・・。」
父親は息子の犯した罪と狂気が彼の生立ちに原因があったと気付き、親としての責任の呵責に苛まれていた。

輝一郎の幼年期がどんなものであったか俺は知らない。
しかし誰にでも生立ちという過去はある。その過去があるからこそ、今の自分がここに存在するんだ。自分の犯した罪を他人が償うことが出来ない様に過去も自分以外の人間に委ねることなど出来ない。それがたとえ親や恋人や、血の繋がった姉弟だったとしても・・・。

「結婚式が・・・止めなくていいのか?」
「実那子が自分で憎んで、自分で裁く時まで・・・俺最後までちゃんと見てなきゃいけないんです。
 今まで15年間ずーっとそうして来たから。過去は自分で背負わなきゃいけないんです。」
俺は決心していた。15年間、実那子を見守り続けた俺の過去も俺自身のものだ。
今更、他の奴にその役目を譲るわけにはいかない。
(実那子の未来も、俺が見届ける。)

俺は身なりを整えると、すでにカウントダウンの始まったデッキへと向かった。

 

「36・35・34・・・」
招待客達の数えるカウントダウンが進む中、デッキへと場所を移した
メインテーブルの前でシャンパングラスを手に立つ実那子と輝一郎。
俺は二人が見える2階のデッキからその様子を見守った。

「30秒前。」
そのアナウンスに新婦の実那子は少々緊張の面持ちを見せていた。
そして15年前にその実那子の家族を殺した男は、穏やかな笑みさえ浮かべ新郎して彼女の隣に立っているのだ。

「18・17・16・15・・・・」
デッキの照明が落とされた。
闇の中でも俺は実那子から目を離しはしなかった。
何も知らずに微笑む実那子の姿に、俺は祈る思いさえ感じていた。

「7・6・5・4・3・2・1・ゼロ!」
12時を告げる鐘が高らかと鳴り響き、クリスマスを迎えた。
それは同時に15年前の殺人事件が時効を迎えた瞬間でもあった。
闇の中でひそかにそれを待っていた輝一郎の顔に喜びの色が浮かぶ。

デッキを飾るイルミネーションが点灯し、湧き上がる歓声、拍手、招待客が打ち鳴らすクッラカーの音、聖歌隊の歌声、それら全てがこれから始まる二人の出航を祝福し、誓いの儀式を盛り上げていた。
スポットライトが今日の主役である輝一郎と実那子に当てられる。
それに続くように一斉に焚かれるカメラのフラッシュ。その眩しさに耐えきれず、思わず何度も目を瞬いてしまう実那子。

そのストロボ現象に彼女の記憶は揺り起こされた。
フラッシュ・バックがまた実那子を襲ったのだ。
大きく見開かれた瞳には、15年前のあの夜の赤々と燃える暖炉の炎が映し出されていた。
そして振り向く男。
暖炉の炎に照らされ、くっきりと浮かびあがった顔は輝一郎だった。
絡まっていた実那子の記憶の糸が次々と解かれていった。


  紀美子を静かに床に寝かせ、代りに包丁を握り締める手。
  血だらけの包丁を実那子へと握らせる輝一郎。
  雨の中、集まった人の群れの中に立つ本当の父親の姿。
  そして、白い傘を差しじっと実那子を見つめる輝一郎。
  病院の庭で車椅子を押しながら語りかける輝一郎。
  「いい子だなぁ、実那子ちゃんは。約束ちゃんと守ってくれたんだね。
   俺はいつも実那子ちゃんの側にいるからね。それをよく憶えておくんだよ。」
  車椅子を押す輝一郎の歩調が、先にある階段に向かって勢いを増して進む。
  その手前寸前のところで車椅子を止めると、
  「又来るからね。」そう言って立ち去さる輝一郎。


深い森の中で15年間眠り続けていた実那子の記憶が目覚めた。
自分の隣にいる男の顔を恐る恐る確認する実那子。

(ん?・・・実那子の様子が少し・・・)
疑心と不安に満ちた実那子の様子に、輝一郎は彼女が全てを思い出したことを悟った。

「いいんだよ、それで。さぁ実那子、俺を憎んでくれ。」
シャンパングラスの柄は折れ、床に落ちて砕け散った。
グラスを握る実那子の手に強い力が込められたせいだ。
輝一郎の顔を真っ直ぐに見つめたまま実那子は呆然と立っていた。

(どうした?実那子・・・何があった?)
俺はその騒ぎに、人垣を掻き分けると彼女の元へと向かった。
この事態に花嫁の怪我を気遣い、慌てて駆けつけるウェイター達。

よろよろ後ずさりした実那子がふと自分の右手に目をやると、純白の手袋が見る見るうちに彼女の血で赤く染められていった。
「イヤーーーッ!!」
それを見た実那子は悲鳴を上げる。輝一郎は黙ってままその場を動くことはなかった。

「実那子!!」
俺は彼女の名を叫びながら、招待客で溢れかえった階段を泳ぐように急いで駆け下りた。

しかし、そんな俺の足を一瞬でも止める事態がここに起きたのだった。

向かい合う二人の視界を妨げるかのように、その男は輝一郎の前にゆっくりと立ち上がった。
床に砕け散ったグラスの破片を片付けていたウェイターの一人だ。
いぶかしげにその男の顔を見る輝一郎。
男が掛けていたメガネを外すと輝一郎の顔がその驚きと共にみるみるうちに強張って行った。

「時効成立おめでとう。」
不敵な笑みと共にその言葉を送った男は輝一郎のかつての同級生、そして輝一郎によって陥れられ殺人犯としてこの15年を生きてきた国府吉春その人だった。
次の瞬間、国府は輝一郎の体を抱き寄せると、まるで鞘にでも収める様に、奴の腹へと静かにナイフをすべらせた。

その場を目の当たりにし、気を失いかけ倒れこむ実那子の体を俺は間一髪支えることが出来た。

崩れ落ちる輝一郎の体を支えながら国府は囁く。
「心配するな、急所は外してある。死にはしないよ。」
「どうして・・・ちゃんと殺せよ。」
輝一郎の顔が悲痛に歪む。その様子を楽しむかのような国府。
「俺はまた刑務所へ入る。仮出所になって、またおまえを刺しに来る。
 何処に隠れたって必ず見つけ出してやる。次もまた急所を外してやる。
 俺は捕まって、何年か経ったら又おまえの前に現われて、一生それの繰り返しだ。
 俺がおまえの前に現われる度、おまえにはこういう傷がまた増えてゆくんだ。解るか?濱崎。
 これがおまえが一生をかけて味わう地獄だ。おまえにふさわしい地獄だろう。」

駆け付けた乗務員に国府が取り押さえられると、女性客の悲鳴と共に輝一郎はその腹にナイフを突き立てたまま、倒れ込んだ。
全身を震わせながら立ち尽くす実那子の肩を後ろから抱き支えながら、俺も国府の言葉を耳にしていた。

取り押さえられ輝一郎の側から離された国府だが、一旦乗務員を振り切ると、今度は俺達の方に向かって来ようとその鋭い視線を向けた。俺はとっさに実那子をかばおうと、身を返し彼女を抱きしめた。
直ちにまた取り押さえられ、その場を連れさられた国府が実那子に向かって残して行った言葉は以外にも謝罪であった。
「すまない。実那子ちゃんを傷つけるつもりはなかったんだ。」

「実那子・・・」
国府に刺されて深い傷を負った輝一郎は、苦痛に顔を歪めながら、実那子に懇願する。
「もっと深く、もっと深く刺してくれ。」
(・・・それが奴が望む、実那子自身の裁きか?)
輝一郎は自分の腹に刺さったナイフを引き抜くと、実那子へと差し出す。
「殺してくれよ。おまえの手で。」
そんな輝一郎を見る実那子の目は無表情に冷たかった。
「実那子。」

俺の腕を解き、差し出されたナイフへと一歩一歩足を進めて行く。
(・・・どうするつもりだ・・・実那子)
しかし俺は実那子を無理に止めようとはしなかった。
目の前にいる男はまぎれもなく彼女の家族を殺した真犯人なのだ。
刑法的に時効が成立した今では、その罪を裁くことが出来るのは彼女をおいて、他には居ないであろう。だが当然のことだがその裁きが他人の命を奪うものであってはならない。それがたとえ、相手の望むことであってもだ。

横たわる輝一郎の側にひざまづいた実那子は、その手から血に染まったナイフを受け取が、両手で握り締めたまま、輝一郎をじっと見つていた。
そしてゆっくりとナイフを床の上に置くと、その手を輝一郎の傷口へ当てる。
実那子は彼女の涙と同様に、傷口から溢れる出る血を肩に掛けていた
ショールを当てると必死に抑えていた。
(これが実那子の奴に対する・・・)
溢れる涙を拭おうともせず、体を震わせながら、輝一郎の為に泣き続ける実那子の姿を俺は黙って見守った。

倒れかかる実那子の体を支えながら、乗務員達が輝一郎をタンカに乗せて運んで行く様子を目で追っていた。

タンカで運ばれる輝一郎は、幼い頃彼を置いて出て行った母親の幻を目にしていた。
「来てくれたんだね、かあさん。俺がやった事、全部見てるんだろ?」
彼の耳にはその優しい母親の声が聞こえていた。


  「貴方は生きるのよ。だって私は、生き続けてもらう為に貴方を産んだのだもの。
   だから、生きて、生きて、生き続けるのよ。」


輝一郎の差し出す手の先には、母親の笑顔の面影が見えていた。
「母さん・・・。」

(全てが終わった・・・)

俺の腕の中には実那子が残った。

「ねぇ、眠い・・・」
「ん?大丈夫だよ、俺いるから。なっ。」
「眠ってもいい?」
「(あぁ、うん。)眠れ、眠れ。なっ。」
俺はデッキの壁に寄りかかるように座り直すと、実那子を包み込んだ。
実那子の悲しみとその背負わねばならない過去を思うと俺の心は締め付けられるほど痛みを感じていた。
出来る事なら、全てを俺が代って背負ってやりたい。
実那子の閉じられた瞼から流れでる涙を目にしたとたん、俺の目からも涙が溢れ出した。
「全部、全部悪い夢だから・・・」
(そう、コレは夢の中の出来事・・・実那子はまだ森の中で眠っているだけだよ。なっ、俺がちゃーんと目覚めるおまえを待っているから・・・今はゆっくりとおやすみ。)

俺の腕の中で実那子は眠りについた。

俺達を乗せた船は真っ暗な闇夜の海を静かに進んでいった。

 

一ヶ月が過ぎた_

実那子は群馬の親父の元へと身をよせていた。

俺は以前と変わらず東京で暮らしている。
俺はこの街で啓太と由理の分も生きて行かねばならない。
人はたとえそれがどんな過去であったとしても、それをその人が歩んできた道程として受け入れ、そしてまたその先にどんな未来が待っていようとも、恐れることなく今を生きていかねばならない。

俺も実那子もそれを感じていた。

実那子は、輝一郎を憎みきれなかったと言う。

彼女を欺き続け、愛し続けた輝一郎は、国府吉春の地獄の恐怖から逃れきれずに、狂気の世界へと逃避してしまったらしい。
「生きて、生きて、生き続ける・・・」
そう繰り返す輝一郎の言葉に彼が背負わねばならない過去の影が見える。
この男の手によって、実那子の家族の命が絶たれ、国府という一人の男の人生を狂わし、実那子の過去が翻弄されたとするならば、その罪の償いは、彼の言葉通り生き続けることにあるのだろう。

 

俺は実那子へと手紙を書いた。

“俺達、再会のやり直しをしないか。場所は、俺達の眠れる森”

約束の日、俺は仕事を早々に片付けると、駅へと向かった。

“俺、あれから考えだんだ。眠れる森の美女は、どうして目覚めたばかりなのに、王子様のプロポーズを受けたんだろうかって・・・”

途中、電車のガード下で俺は転んだ。
(あれ?最近、何か変だ。右足が思うように動かない・・・)
一ヶ月以上も前から右手にしびれのような震えがくることもあったが、力を入れて手を握り締めればすぐにそれは止まったので、余り気にも止めていなかった。
しかし今日は仕事の最中にも、おもわずカラーフィルターを落とした。
そういえば以前親父に、一度精密検査を受けろと言われていたっけ。
花屋の前を通りかかると、ショーウィンドーの中の花に目が止まった。
実那子はきっと、かつて俺が実那子を待った森のハンモックに揺られながら、俺からの手紙を読み返しているだろう。
俺が手紙に書いた「眠れる森の美女」の解釈にちょっと苦笑しながら、「幻滅させないで・・・」と呟くにちがいない。
そんな実那子をきっと森は眠りに誘う。
実那子を待つ間に俺を眠りに誘ったハンモックの揺れは、実那子にも穏やかな眠りを与えてくれる。
(大丈夫。目覚めた時に俺がいるから・・・それが約束だったよな。)

 

列車は実那子が待つ「中之森」へと向かっていた。
中之森は俺と啓太の故郷。それに俺と実那子の眠れる森がある。

途中の駅で一人の少女が乗ってきた。
(幼い頃の実那子にそっくりだ。)
少女は俺が落としたみかんを拾いあげ、手渡してくれた。
「食べる?」
拾ってもらったみかんを手に少女に尋ねたが、少女の返事はない。
手元の袋から新しいみかんを差し出すと「ありがとう!」と受けとってくれた。
(本当に良く似ていなぁ。)
通路を挟んだ斜め前の席へ座った少女は振りかえり、俺の様子をじっと見ていた。
(ん?)俺はその視線に気付いた。
(左手だけで不自由そうにみかんを剥く姿が気になるんだな。)
俺は少女に尋ねた。
「どこまで?」
「中之森。」
「じゃあ同じだ。」
「あっちで、お母さんが待っているの。」
「・・・俺もいるよ、待っている人。」
俺はちょっぴり自慢気に言った。
(そう、俺にも待っている人がいる。俺の大切な人。俺の・・・実那子。)

目を閉じると、森のハンモックに揺られながら眠っている実那子の姿が俺の脳裏に浮かんだ。

“なぁ、実那子。俺達に与えられた運命をこれからちゃんと生きてみないか?
 一人づつ別々に生きるんじゃない。二人で一緒に、ずっとこれから。
 だから必ず、あの森に行くから。実那子が目覚める時、そこに必ず・・・俺がいるから。”

電車が「中之森」駅へと到着した。

ホームに立つ母親の元へ少女が駆け寄った。
母親に手を引かれ、改札へと向かう少女は閉まりかける列車のドアを振り返った。
同じ駅で降りると言った俺がまだホームへと現われないからだ。

動き出す列車。しかし俺はまだ列車の中にいた。
中之森・・・実那子が待つ森がある。(降りなければ・・・俺を待っている人がいるんだ。)
そう思いながらも、俺の身体にはその意思が伝わらない。
剥きかけのみかんが床へところがっていく。意識が遠のいて行くのを感じる。

実那子への想いだけが、かろうじて俺の意識をこの身体へとつなぎ留めていてくれた。
(降りなければ・・・降りな・・・)

しかしそれも、もう・・・。

「私も貴方と生きてゆきたい。」
薄れゆく意識の中で実那子の声が聞こえた。

実那子の為に買った蘭の花が、俺の膝からすべり落ちた。
「実那子・・・」

すでに声にはならなかった。

ただ涙だけが俺の頬を伝って流れた。

俺を乗せた列車は、実那子の待つ森を離れ・・・
別の森へと旅立った。

− F i n −


===  「最終幕」をお読み戴いた皆様へのお礼とお詫び ===

僕のレポを最後までお読み戴き、誠にありがとうございました。
まずは、年末年始のTV特番にうつつを抜かし、大変遅くなってしまった事をお詫び申しあげます。
正月ボケからいきなり連日の徹夜に突入すること1週間、やっと書き上げた次第です。
また、巷ではすでに「シナリオ本」も発売され、皆さんの中でもすでに原本をご覧になった方もいらっしゃると思い、あえて直季からの視点で書かせて頂きました。すっかり僕の思い込みと解釈の世界で展開しています故、お許し戴きたい。
拓哉さんの「直季はそんなんじゃねーよ。」と言うお叱りの言葉が今にも聞こえて来そうです。(やべーよ、マジで)

最後にレポを応援してくださった皆さん、ドラマレポ初挑戦の機会を与えて下さったTARAさん、見守って頂き本当にありがとうございました。
1幕から11幕を担当されたレポ隊の皆さん、拓哉さんを始めこのドラマに携わった全てのスタッフの皆さん,大変お疲れさまでした。
機会がありましたら・・・また、何処かの森でお会いしましょう!!


★「眠れる森」のページ★

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