アメリカ側の原爆投下に対するコメント
原爆投下にはアメリカ側にも原爆投下を批判する意見があった。また強引に原爆投下を命令した第 33 代大統領 トルーマン ( 任期 1945 ~ 1953 年 ) への厳しい批判もある。
- 「 いかなる 詭弁 ( きべん、ごまかしの議論 ) を用いようと、原爆投下の主目的が、戦闘員ではなく 女 子供 老人などの非戦闘員の殺傷 であったことを否定することはできない。
そもそも アメリカが日本を挑発しなければ 、決して 真珠湾を攻撃されることはなかったであろう。 」 ハーバート ・ フーバー 第 31 代アメリカ合衆国大統領 ( 任期 1929 ~ 1933 年 )
- 「 原爆投下は、米国兵士の命を救うためには全く必要のないものだった。我々は日本に原爆を投下する必要はなかった。」 ドワイト ・ アイゼンハワー 米第 34 代大統領 ( トルーマンの後任、任期1953 ~ 1961 年 ) 。
- 「日本が ソ連に和平仲介を頼んだと知った 1945 年 6 月、私は参謀達に、戦争は終わりだ、と告げた。ところが ワシントンの トルーマン政権は、突如日本に原爆を投下した。私は投下の ニュースを聞いたとき激怒した。」 連合国軍総司令官 ダグラス ・ マッカーサー 。
- 「ドイツが アメリカに原爆を落としたとしよう。その後 ドイツが戦争に負けたとする。その場合我々 アメリカ国民の誰が”原爆投下を戦争犯罪とし、首謀者を極刑に処す”ことに 異議を唱えるだろうか ? 。
原爆投下は外交的にも人道的にも、人類史上最悪の失敗であった。」 マンハッタン計画参画の科学者 レオ ・ シラード
- 「 アメリカはこの戦争を外交的手段で終了させられた。原爆投下は不要だった。日本の犠牲はあまりにも不必要に巨大すぎた。私は東京大空襲において、同僚達と、いかにして日本の民間人を効率的に殺傷できるか計画した。
その結果 一晩で女子供などの非戦闘員を 10 万人焼き殺したのである。もし戦争に負けていれば私は間違いなく戦争犯罪人となっていただろう。では、アメリカが勝ったから、それらの行為は正当化されるのか ? ?。 我々は戦争犯罪をおこなったのだ 。
一体全体どうして、日本の 67 の主要都市を爆撃し、広島 ・ 長崎まで原爆で、アメリカが 破滅させ虐殺する必要があった というのか?。」 ロバート ・ マクナマラ、 第 35 代大統領 ケネディ ( 任期 1961~1963 年 ) 政権下で国防長官 元世界銀行総裁
- 「 日本上空の偵察で米軍は、日本に戦争継続能力がないことを知っていた。また天皇の地位保全さえ認めれば、実際原爆投下後も アメリカはそれを認めたのだが、日本は降伏する用意があることも知っていた。だが トルーマン大統領はそれを知っていながら無視した 。
ソ連に和平仲介を日本が依頼したことも彼は無視した。この野蛮な爆弾を日本に投下したことは、なんの意味を持たなかった。海上封鎖は十分な効果を挙げていた。この新兵器を爆弾、と呼ぶことは誤りである。これは爆弾でもなければ爆発物でもない。これは”毒物”である。恐ろしい放射能による被害が、爆発による殺傷力をはるかに超えたものなのだ。
アメリカは原爆を投下したことで、中世の虐殺にまみれた暗黒時代の倫理基準を採用したことになる。私はこのような戦い方を訓練されていないし、女子供を虐殺して戦争に勝ったということはできない ! 」 ウイリアム ・ リーヒ 米海軍大将、元 トルーマン大統領主席補佐官
- 「日本との戦争への ロシアの参入は、その終結を早める決定的要素であり 、原子爆弾が 一つも投下されなかったとしても、その事実は変らなかった」 クレア ・ シェンノート 米陸軍航空隊大尉( のち少将 )
- 「最初の原子爆弾 ( ネバダ州の実験 )はいわば不必要な実験であった。これを一度でも投下したのは誤りだった。(…中略…)原爆は多数の ジャップを殺した。しかしジャップはかなり前から ロシアを通じて和平の打診をしていた 」 ウィリアム ・ ハルゼー ・ Jr 太平洋艦隊第三艦隊司令長官 ( のち元帥 )
- 「 ロシアの参戦と原爆がなくとも、 戦争は 二週間で終わっていただろう (…中略…)原子爆弾は戦争の終結とは何ら関係がなかった 」 カーティス ・ ルメイ 陸軍航空軍少将 ( のち空軍参謀総長 )
- 「( 原爆か上陸作戦かという選択に関して )ジレンマ は不要なものだった。なぜなら、じっくり待つつもりさえあれば、海上封鎖によっていずれ石油、米、薬品や他の必需品が不足し、 日本人は窮乏して降伏せざるをなくなったからだ。 」 アーネスト ・ J ・ キング 米海軍元帥、元海軍作戦部長。