般若心経 ( はんにゃしんぎょう )![]() 注 : 1 数ある教典の中で最も有名なお経で、正しくは 般若波羅蜜多心経 ( はんにゃ はらみった しんぎょう )、または 摩訶 ( まか ) 般若波羅蜜多心経 といい、大乗仏教の経典である大般若経 六百巻からその真髄を 二百六十二 文字 にまとめたもの で、 仏教の核心部分 を表現したものといわれています。七世紀、唐の時代に仏法を求めてインドに赴き、シルクロード を経由して教典を中国にもたらした僧、玄奘三蔵 ( げんじょう さんぞう ) が漢訳したものが日本では主に流布していますが、それ以外にも鳩摩羅什 ( くまらじゅう ) の訳、法月 の訳など合計 七種類もあるのだそうです。 注 : 2 般若 ( はんにゃ− ) とは古代 インドの サンスクリット語 パンニャー ( 智慧 ) の音写で、 波羅蜜多 ( はらみーたー ) とは パーラム ( 彼岸 )と イター ( 渡る ) を合わせたもので、それまで小乗仏教が説いてきた 苦行による煩悩克服 ( 自己の宗教的完成 ) の教えに対して、 智慧で彼岸に渡る ( 悟りを開く ) ことを初めて説いたものです。注 : 3 内容は深遠な 空 「 くう 」 の境地を説いたもので、お経の構成は観自在菩薩 ( 観音さま ) が 舎利子 ( シャ−リーシ、釈迦の弟子の 一人の名 ) に対して、教えを説く形になっています。注 : 4 空 「 くう 」 とは一切のこだわりの無い心つまり「無」のことで、( 財物、地位名誉、愛憎、生死などに対する ) 執着心を完全に捨てると、おのずから 「 空 」 の境地が開けてくる。これこそが真理であり、現世の一切の苦しみから解放される道であると説いています。注 : 5 経文の中に パソコン には無い漢字が 二ヶ所あるので、それに近い意味の漢字を当てました。
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A、玄奘三蔵の漢訳経とその読み方( 読み方に興味の無い方は、次の B、C、へお進み下さい )。 観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時 { かんじーざいぼーさー、ぎょうじん、はんにゃーはーらーみーたーじ }照見五蘊皆空、度一切苦厄、舎利子 { しょうけんごーおんかいくう、どーいっさいくーやく、しゃーりーし } 色不異空、空不異色、 色即是空 { しきふーいーくう、くーふーいーしき、 しきそくぜーくう } 空即是色、受想行識、亦復如是 { くうそくぜーしき、じゅーそうぎょうしき、やくぶーにょーぜー } 舎利子、是諸法空相、不生不滅 { しゃーりーしー、ぜーしょーほうくうそう、ふーしょうふーめつ } 不垢不浄、不増不減、是故空中 { ふーくーふーじょう、ふーぞうふーげん、ぜーこーくうちゅう } 無色無受想行識 { むーしきむーじゅそうぎょうしき、} 無眼耳鼻舌身意 { むーげんにーび−ぜっしんにー } 無色声香味触法、 { むーしきしょうこうみーそくほう } 無眼界乃至無意識界{ むーげんかいないしーむーいーしきかい } 無無明、亦無無明尽、乃至無老死 { むーむーみょう、やくむーむーみょうじん、ないしーむーろうし } 亦無老死尽、無苦集滅道、無知亦無得 { やくむーろうしーじん、むーくーしゅうめつどう、むーちーやくむーとく } 以無所得故、菩提薩捶、 { いーむーしょーとくこー、ぼーだいさったー } 依般若波羅蜜多故、心無罫礙 { えーはんにゃーはーらーみーたーこー、しんむーけいげー } 無罫礙故、無有恐怖 { むーけいげいこー、むーうーくーふー } 遠離一切顛倒夢想 { おんりーいっさいてんどうむーそう } 究竟涅槃、三世諸仏、 { くーぎょうねーはん、さんぜーしょーぶつ、} 依般若波羅蜜多故 { えーはんにゃーはーらーみーたーこー } 得阿耨多羅三藐三菩提、{ とくあーのくたーらーさんみゃくさんぼーだい、} 故知般若波羅蜜多 { こーちーはんにゃーはーらーみーたー } 是大神呪、是大明呪、是無上呪 { ぜーだいじんしゅー、ぜーだいみょうしゅー、ぜーむーじょうしゅー } 是無等等呪、能除一切苦、真実不虚 { ぜーむーとうどうしゅー、のーじょーいっさいくー、しんじつふーこー } 故説般若波羅蜜多呪、即説呪曰 { こーせつはんにゃーはーらーみーたーしゅー、そくせつしゅーわつ } 羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦 { ぎゃーてーぎゃーてー、はーらーぎゃーてー、はらそうぎゃーてー } 菩提薩婆訶、般若心経 { ぼーじーそわかー、はんにゃーしんぎょう }
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B、般若心経の意味 ( その一、直訳 )智慧 ( ちえ ) 深き般若波羅蜜多 ( はんにゃはらみった ) を行 ( ぎょう ) じられ、この世はすべて空 ( くう ) なりと、照見 ( しょうけん ) せられて一切の苦厄 ( くやく ) を度 ( ど ) されし観世音菩薩 ( かんぜおんぼさつ ) はここに説 ( と ) き給 ( たま ) う。舎利子 ( しゃ−りし、仏弟子の名前 ) よ、色 ( しき ) は空にして、空また色に異ならず、色は即ち空にして、空また即ち色ならむ。受 ( じゅ )、想 ( そう )、行 ( ぎょう )、識 ( しき ) また同じ。舎利子よ、諸法 ( しょほう ) は空にして、生じなければ滅ぶなく、垢 ( あか ) つかざれば浄 ( きよ ) くなく、増えるなければ減るもなし。空の中にはこの故に、色もなければ受も想も、行もなければ識もなし。眼 ( め ) もなく耳も鼻もなし、舌なし身なし心なし。色 ( いろ )、声、香り、味もなく、手触 ( てざわ ) りもなく思いなし。そこに働く識 ( しき ) もなし。 煩悩 ( ぼんのう ) もなく、煩悩の尽きることなく、老 死なく、老 死の尽きることもなく、十二支 縁起 ( じゅうにしえんぎ ) ありてなし。苦、集 ( じゅう )、滅 ( めつ )、道 ( どう ) の四諦 ( したい ) なく、知ることもなく得るもなし、すべて無所得 ( むしょとく ) なる故 ( ゆえ ) に。 菩薩 ( ぼさつ ) は 般若波羅蜜多 に、依 ( よ ) る故 ( ゆえ ) 、心に障 ( さわ ) りなく、恐れるものもさらになし。すべての狂い迷い去り、深き涅槃 ( ねはん ) を得 ( え ) 給 ( たま ) えり。三世 ( さんぜ ) にわたる御仏 ( みほとけ ) も、般若波羅蜜多に依る故に、無上の悟りを得 ( え ) 給えり。 この故、般若波羅蜜多は、これ大 ( おお ) いなる神呪 ( しんじゅ ) なり、これ大いなる明呪 ( みょうじゅ ) なり、これぞ無上の呪 ( じゅ ) にありて、これぞ無比 ( むひ ) なる呪とぞ知る。よく一切( いっさい )の苦をのぞき、真実にして偽らず。故に般若波羅蜜多の、呪をここにこそ説(と)き給う。即ち呪をば説きて曰( い )う。 彼 ( か ) の岸へ、彼の岸へ行かむ、御仏 ( みほとけ ) の智慧の悟りの岸に幸あれ。
C、般若心経の意味 ( その二、意訳 )仏とは彼岸の智慧を得た者をいう。彼岸の道に向かって深く行じていくと、因果の原因は本来無いものと心の眼で捉えられる。そうなると、一切の苦しみと災難から超えることになる。舎利子よ、一切は自分があるようで無い。すべては 一つなのだ。それゆえ、舎利子よ、この世のさまざまな因果の法則は、生じることもなければ滅することもない。垢もたまらなければ浄 ( きよ ) まることもない。増えもしなければ減りもしない。それゆえ、空 ( くう ) の中に色 ( 形、存在 ) があるというのではなく、二つは 一つなのだ。 また差別、境界、肉体にまつわる様々な自我の思いは本当は無いものだ。無いから、迷いも、迷いの尽きることも、老死も、苦悩もない。いわんや小賢 ( こざか ) しい知もない。肉体にまつわる自我を去ると、このように見え、わかってくる。菩薩行 ( ぎょう ) の末に彼岸に着くと、神仏の智慧が与えられ、ものの真相が明らかになる。 般若の智慧を得ると、心に囚 ( とら ) われがなくなり、恐怖の心も湧かなくなってくる。物事を逆さまに見ていたことから遠く離れるので、行き着く先は神仏の世界しかないからである。 諸々の仏といわれる者は、一人も漏れなく大いなる神からいのちの果実を与えられ、大安心を得た。ゆえに知ることだ。彼岸への道は、これ大いなる神への祈りであり、一切の智慧の教えであり、これにくらべる道はない。 能 ( よ ) く 一切の苦を除いてくれる。真実にして偽りのないものだ。ゆえに、この説を指して不変の教えという。教えを要約するとこうなる。 あなたも、わたしも、神仏を信じて 一心をそれに託し、努め励んでゆくならば、安心の境涯に達することができる。永遠に変わらぬ心の教え。 |