巣鴨の焼け跡の写真 ( 昭和20年4月の空襲 )


昭和20年 ( 1945年 )4月13日の夜間空襲の際には、 B−29 爆撃機 352機 が攻撃をおこないました。合計 2,119 トン の爆弾、焼夷弾を 投下しましたが、その結果私達の家や学校があった豊島区を初め、文京区、新宿区一帯が焼け野原になりました。後日その戦果を確認するために、米軍は写真撮影をし ましたが、それがこの写真です。

以下の E を除く場所は、 子供の頃の思い出 ( その一 )、の中で述べたものです。

A:は、空襲で焼ける以前に私の家があった所
B:は、巣鴨脳病院
C:は、三越デパート社長のお屋敷
D:は、学童集団疎開に行くまで通っていた、仰高北国民学校( 小学校、現大塚聾学校 )
E:は、J R 山手線巣鴨駅、( 大塚駅は左下方面 )
F:は、トゲ抜き地蔵がある高岩寺で、門前町は ( お婆ちゃんの原宿 )

E から F、C を通る道路は江戸時代から続く 中山道 で、トゲ抜き地蔵の縁日に夜店で賑わったのは、主に F から左側の通りでした。


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