塩作りの歴史 ( 続き )


[ 7:塩の流通と専売制 ]

生活に必要な塩は、これの供給元を抑えた者が権力を握り利益も得ましたが、そこで塩の専売制度が生まれました。ヨーロッパでは紀元前 6 世紀に古代 ローマで塩の販売権を政府が持つようになり、一般人は製塩に従事するのを禁止されました。

日本では塩は海岸地方でしか生産できないため貴重な産物として海のない内陸諸国に輸送され販売されましたが、戦国時代 ( 1467 年の応仁の乱 〜 1568 年の織田信長の入京 ) の頃になると戦略的な物資として重視され、各地の大名によりしばしば 荷留め ( 領土外への輸送禁止 ) の対象にされました。

( 7−1、敵に塩を送る )

「 ことわざ 」 に敵に塩を送るというのがありますが、 甲斐 ( かい、山梨県 ) の武田信玄 ( 1521〜1573 年 ) と越後 ( えちご、新潟県 ) の上杉謙信 ( 1530〜1578 年 ) が北信濃 ( きたしなの、長野県北部 ) の支配権を争って、天文 22 年 ( 1553 年 ) から永禄 7 年 ( 1564 年 ) まで合計 5 回戦いましたが、第 4 回目の川中島の合戦 ( 1561 年 ) が大規模で特に有名でした。

その間に駿河 ( 静岡県 ) の今川氏真と相模 ( 神奈川県 ) の北条氏康が同盟を結び、自国から甲斐の武田領に送っていた塩の輸送を禁止しました。そのために甲斐の国では塩不足になり武田の軍勢だけでなく、領民もたいへん困りました。

このことを知った上杉謙信は、

争うべきは弓箭 ( きゅうせん、弓矢 ) にあり、米 ・ にあらず

その意味は、「 戦は弓矢ですべきものであって、米やでするものではない 」 として、塩不足に悩む敵の武田領に自国産の塩を送りましたが、上杉謙信流の戦争美学 ( フェアープレイ の精神 ) によるものでした。

塩の専売制は明治 38 年 ( 1905 年 ) に始まりましたが、最初は日露戦争 ( 1904〜1905 年 ) における国庫収入の増加が目的でした。その後大正 7 年 ( 1918 年 ) からは収益目的をやめにして、製塩業の保護と生活必需品である塩の安定的供給と価格の安定が目的になりました。つまり製塩業者が生産した塩は国の機関である日本専売公社だけが買い取り、指定の販売店で指定の価格で販売しました。

しかし昭和 60 年 ( 1985 年 ) に塩専売法が施行され、専売公社から業務が、日本たばこ産業株式会社に移行しました。その後平成 9 年 ( 1997 年 ) には塩専売法から、塩事業法となり、 塩の製造、輸入、などについては届出制となり 自由化 されました

[ 8:日本における塩の需給 ]

岩塩

日本では前述した イオン交換膜製塩法と真空式蒸発釜により塩を作りますが、「 表−1 」 に示す如く 食用の塩 の 年間消費量は 20〜26 万 トン前後です。

これに対して 「 表−2 」 に示す国内生産量は 113 万 トンなので、 食用塩に関する限り 国産品で十分自給が可能ですが、調味料に対する こだわり ・ 自然食品好みなどの問題もあり、外国から約 15 パーセント ( 3 万 トン ) 程度の食塩を輸入しています。 写真は輸入した食用の岩塩粒です。


表−1、 用途別 需 要 実 績 ( 単位 千 トン )

項  目用  途平成12年平成20年
需要総量−−−9,5318,585
業務用ソーダ工業用7,4846,524
食品工業用985911
一般工業用165202
融氷雪用351514
家畜用その他138136
生活用−−−259202

( 財務省理財局総務課・たばこ 塩事業室の データから )



表−2、 塩 供 給 実 績 ( 単位 千 トン )

年 度供給量国内産外国産在庫量
平成12年9,5311,3748,1571,228
平成17年9,5101,2278,2831,338
平成18年9,2401,1668,0741,523
平成19年9,1391,1388,0011,552
平成20年8,5851,1327,4541,626

( 財務省理財局総務課・たばこ 塩事業室の データから )



上記の表を見ると需要総量のうち、生活用の塩が占める割合は平成 12 年度が 2.7 パーセント、平成 20 年度が 2.3 パーセントに過ぎず、ほとんどが 工業用の塩 で占められていることが分かりますが、それらは メキシコと オーストラリアの 2 国からの輸入 がそれぞれ約 330 万 トンの大口を占め、インドが 72 万 トン、中国が 20 万 トンですが、それ以外の国からも少量ずつ輸入しています。

日本は工業用の塩を含めた需給全体からみると、塩の自給率が 13〜15 パーセントと極めて低く、毎年 750 万 トン〜 800 万 トンを輸入する 世界最大の塩の輸入国です


[ 9:世界の塩の生産高 ]

世界における塩の原材料は大きく分けて以下の 四つになりますが、塩生産量の 60 パーセントが岩塩、40 パーセントが天日製塩法によるものです。

岩塩鉱山

ちなみに岩塩とは大陸の移動や地殻変動により、陸地に閉じ込められてできた海水の湖が後に干上がって塩分が結晶化し、生成され堆積してできたと考えられていますが、形成時期は 5 億年から 200 万年前といわれ、前述したように日本ではこれまで岩塩が発見されたことはありません。写真は パキスタンの岩塩鉱山から産出された岩塩塊です。

  • 岩塩−−岩塩鉱山から採掘 ( 主に ヨーロッパ、北 アメリカ )。

  • 海塩 ( 天日 )−−塩田において天日を利用して水分を蒸発させ、結晶した塩を得る ( 中国、西 ヨーロッパ、メキシコ、オーストラリア )。

  • 海塩 ( 電気透析 )−−イオン膜交換法により塩分濃度の高い塩水を作り製塩する ( 日本 )。

    ウユニ塩湖

  • 湖塩−−アンデス山脈の標高 3,700 メートルにある ウユニ ( Uyuni )湖では、自然にできた塩を収穫します ( ボリビア )。

塩田中国

世界で最も多く塩を生産する国は中国ですが、毎年 5 千 5 百万 トンの塩を生産していて、海塩の生産では世界の総生産量の 3 分の 1 以上を占めています。福建 ( ふっけん ) 省 ・ 江蘇 ( こうそ ) 省 ・ 浙江 ( せっこう ) 省などでは、塩田から天日により塩を生産しています。

天日製塩

その方法とは粘土などで作った プール ( 蒸発池 ) に海水を導き入れ、それを次々と別の プールに移動させながら、天日と風の力で濃縮させます。濃縮された塩水は結晶池に導かれ塩の結晶析出がおこなわれます。右にある写真の塩は中国 四大海塩産地のひとつである、江蘇 ( こうそ ) 省 ・ 連雲 ( れんうん ) 港市で天日により生産された天日海塩 ( Solar salt ) です。

釜製塩

さらに中国の内陸部にある 四川 ( しせん ) 省 ( 省都は成都 ) の 四川盆地にある 自貢 ( じこう ) 市の周辺 では、井戸を掘ると天然の塩水が湧き出るので、千 年以上昔から塩の井戸を堀って塩水を汲み出し、それを釜で煮て水分を蒸発させる方法での製塩業が盛んです。


メキシコの カリフォルニア半島 ( バハ ・ カリフォルニア、Baja California ) の中央、西側の海沿いにある町、ゲレロ ・ ネグロ ( Guerrero Negro ) には世界最大級の塩田がありますが、その面積は東京 23 区と同じ 500 平方 キロメートルの広さを持つ大規模なもので、ここで生産される塩は日本の 輸入塩の約 40 パーセント を占めています。

塩原

この地方は年間降雨量が 100 ミリしかない乾燥した砂漠型気候のため、内陸の海水が自然に凝固し地面が塩で覆われています。地表の塩を掘り下げて池を作り海水を溜め、2 年がかりで自然に ゆっくり塩を結晶させ、その後塩を ブルドーザーで集めるのだそうです。写真は塩田ならぬ「 一面の塩の原 」 についた タイヤの跡。

岩塩鉱山内部

西ヨーロッパ諸国の塩の生産高は世界全体の約 20 パーセントほどですが、イギリス ・ ドイツ ・ フランスは年間 700 万 〜1,800 万 トンを生産しています。ほとんどが地下にある岩塩鉱脈から岩塩を掘り出すか、あるいは地下の岩塩層に水を注入して、溶けた高濃度の塩水を汲み上げて製塩する方法を採っています。

写真は地下にある巨大な岩塩鉱山ですが、車の大きさと岩塩層を比較してください。



下表で国名が茶色の国は、日本が工業用塩を大量に輸入する国です。


表−3、 2007年度、世界の生産量 トップ 10 ( 単位 千 トン )

順 位国 名生産高順 位国 名生産高
中 国56,000オーストラリア12,400
アメリカ43,800メキシコ8,200
ドイツ18,000イギリス8,000
インド15,500ブラジル7,300
カナダ15,00010フランス7,000
−−−−−−−−番 外日 本1,138

( U.S. Geological Survey, Mineral Commodity Summaries, January 2008 、から引用 )


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